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皆様、お久しぶりです。
ずーっと日記を書けませんでしたが、生きてます。
今回の東北地方太平洋沖地震で影響を受けましたが、生きてます。
つづきにて、そのときと現状を報告していますが、その前に。
亡くなった方々へのご冥福をお祈りいたします。
また、被災されて今もなお不安な時間を過ごされている皆様に、一刻も早く状況が良くなることを切に願っています。
ずーっと日記を書けませんでしたが、生きてます。
今回の東北地方太平洋沖地震で影響を受けましたが、生きてます。
つづきにて、そのときと現状を報告していますが、その前に。
亡くなった方々へのご冥福をお祈りいたします。
また、被災されて今もなお不安な時間を過ごされている皆様に、一刻も早く状況が良くなることを切に願っています。
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地震発生時、私は東京にいました。
普通に仕事(打ち合わせ)で、ぐらっとして『あ、揺れてる』と思ってました。
ですが、いつもと違って全く揺れが治まらず、大きくなっていって。
壁がミシミシと音を立てるわ、蛍光灯がバチバチするわ、会議室は騒然でした。
それでも、揺れが落ち着いたら普通に会議再開してましたけど…。
その後、自席に戻ってネットで地震情報を確認したら、震源地は東北。
私の実家は東北なので、心配になって電話しても繋がらない。
その間に東京でも余震が続く。
しばらくはパニック状態でした。
その後、地元の友達や両親と連絡が取れ、一安心しましたが。
仕事が終わって、大きな問題が一つ。
これからどうしようか。
地震発生の時点でJR全線・地下鉄・私鉄、全てストップしてました。
となると、残る交通手段はバス・タクシー・自転車・徒歩。
会社に残るという選択肢は、私にはありませんでした。
『一刻も早く家(茨城)に戻らなければ』
それしか頭の中にありません。
会社(皇居付近)から歩きました。ひたすら歩きました。
途中で携帯電話の電源が切れてしまい、何度かコンビニに寄りましたが、どこも売り切れ。
公衆電話はどこも長蛇の列で、それに並ぶよりもとにかく先へ。
なんとか駅まで着いたのが、日付が変わって1時でした。
かなりの無茶をしたと思います。
向かう途中で携帯の充電器を手に入れましたが、家族や会社からメールが10件以上入ってました。
家族と会社にメールを打って、両親と電話で話して、泣きそうになりました。
それから駅で一夜を明かしました。
足を痛めた+食料を一切持っていなかった私に、親切な方が食料を分けていただきました。
「きっと帰れる。大丈夫」と暖かいお言葉をいただきました。
名前も聞けなかったのですが、その方がいなければどうなっていたのか、分かりません。
その方に、心から感謝を。本当にありがとうざいました。
早朝、駅構内に入れました。
家(茨城)に帰るのに常磐線の電車に乗りました。
途中の駅で電車が何度も止まってしまいましたが、12時過ぎに終点に着き、無事に家に着きました。
家に着いてからはずっと寝てました。
その間、余震があったり、断水になったり、いろいろありました。
それでも家に帰れて安心して、ほとんど目が覚めることはありませんでした。
今日は食料の確保や地震について情報収集を行いました。
明日からは仕事なのですが、不安はあります。
今も続く余震、まだ実家と連絡が取りにくい状況、これから実施される地域ごとに輪番停電。
一刻も早く状況が良くなってほしいです。
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